2017年10月22日

世界の宗教的問題を解決するためにも日本の発展繁栄は不可欠である

世界の宗教的問題を解決するためにも日本の発展繁栄は不可欠である

地球上にある思想的あるいは宗教的問題を大きくわけると2つあるといわれています。
1つは、神や仏を信じる国と、まったく神仏や目に見えない尊い存在を認めようとしない唯物論的な国です。
もう1つは、神様を信じてはいますが、その名前の違いや、教えの違いによっておきる対立です。
これに関しては、何千年にもわたっている思想的対立ですので、慣性の法則的に根深いものがあると思えます。

一党独裁軍事政権の中国は、世界の人口の1/5を占めているので、この国が唯物論的価値観に支配されていることを、神様は許さないでしょう。
それは、中国の国民が悪いという意味ではありません。
むしろ、複数の政党を持つ自由、言論の自由、出版の自由を束縛されている点で、国民は苦しみの中にあります。

唯物論的な考え方、思想は数千年前のギリシャにもありました。
しかし、霊的世界はあります。三次元的な材料をもってきて四次元以降、高次元の存在証明をしようとしても、誰もが納得する形で証明することはできないと自分は考えています。
ギリシャ哲学のソクラテス、プラトン、あるいはスウェデン・ボルグ、人智学のルドルフ・シュタイナー、宗教的には、イエス・キリスト、仏陀、源信、空海、など多くの偉人達が霊的世界に裏付けられた教えを説いてきましたが、その一方で、神を否定する唯物論的な思想もあり、真実が目隠しされた状態になっています。

人間としてどのように考えることが大切であるのかを深く考えた時に結論は明らかです。
上記で述べたように、物質という尺度で霊的世界を測定しようと考える方が間違いなのです。
しかし、あえてその不可能に立ち向かっているのが、幸福の科学です。

霊的世界を証明できないという通説に対して、霊言集というかたちで、霊的世界の証明をされようとしています。
自分がわかる範囲で過去の歴史を調べてみても、これほど古今東西の偉人や宗教家、思想家の考えや思想を霊言集という形式で世に問うている宗教家はいません。

これは、霊言集による精神革命であり、無神論国家にたいしての戦いでもあります。
実存主義が述べているように、人間は世界に投げ出された存在で盲目的生き物なのか、それとも人間の本質は目で見ることはできないが、神仏からわかれた霊的な思考するエネルギーであり、転生輪廻の過程で魂を磨き永遠に発展を目指している存在なのか、どちらが真実なのかを霊言集を通して証明しようとする前人未到の戦いが繰り広げられています。

しかし人間が本当に機械のような存在であるならば、なぜ、美しいものをみたり聞いたりして感動するでしょうか。
あるいは、自分が苦しんでいる時に優しい言葉をかけられたら、どうして勇気がわいてくるのでしょうか。どうして悲しい時に涙がこみ上げてくるのでしょうか。
神経作用は、外界の情報を提供しますが、その情報に対しての価値判断をするのは魂あるいは心であり、心こそ人間の本質であると言いたいのです。

中国は軍事力を背景に、将来的に食料を確保しようと考えているようです。しかし軍事政権では真実、その国が、その国民が幸せをつかむことはできないでしょう。

日本は幸福の科学の思想を全世界に発信するために、経済的に衰退してはいけません。経済的な繁栄・発展をバックボーンに、正義を世界に発信しなければいけないという以上、幸福実現党が勝ちあげっていく以外にありません。




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posted by ガンちゃん at 23:28 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仏教の修行論は縁起の理法(因果律)であり姓名判断や占いは修行ではありません

仏教の修行論は縁起の理法(因果律)であり姓名判断や占いは修行ではありません

仏教的人生観に縁起の理法という教えがあります。
今の自分の状況は、過去の自分の考え方や行いが原因であり、結果が現在の自分に跳ねかえっています。
現在、自分が苦しみの中にあるのならば、過去の自分自身の考え方や行動に対し仏教的価値観を判断基準とし、反省しなさいというのが縁起の理法的な考え方だと思います。

人間には完全な自由意思が与えられています。
自由意思に基づいて判断し行動しているのですから、苦しみの原因が、他の人や環境に有るのではなく、常に自分自身に帰ってくるという自己責任の考え方が縁起の理法です。

私達は、常に正しい価値判断をするために、仏法真理を学ぶ必要があります。
知識として真理を学び、やがて自分の魂の傾向性まで落とし込み神仏に近づいていくという考えが大事であると思います。


結果に対しての自己責任の部分を、姓名判断や、その他自分以外のところに持ってきた時に、自己反省はありません。

物事を判断する時に、自分の意志や学んだ真理から判断するのではなく、○○によるとこうですとか、名前の画数を原因に持ってくることは基本的に間違えです。
自分以外に原因を持ってくることは自己責任から逃げていると考えます。

努力や精進についての考え方を、渡辺昭宏氏から引用します。『仏教を知るために』参照
「われわれが行動するにあたって、まず正しい見解(正見)に従って方針を定め、それを実行する決意(正思惟)をし、正しい言葉と行為と生活方法(正語・正業・正命)を実践するが、実際にその原動力となるのが正しい努力(精進)によるのである。〜中略〜
努力についても邪を捨てて正を選びとらなければならない。これを次のように四段階にわけて考察します。第一に、まだ生じていない悪が今後も生じないように、第二にすでに生じている悪をなくするように、第三に、まだ生じていない善を生じるように、第四に、すでに生じている善を確立し、さらに発展させるように、それぞれ努力すること、これが“正しい努力”である〜中略〜
仏教はこういう意味で努力を信者たちに教えました。
しかし、仏教が日本までくると、本来の努力という意味だった“精進”という語が“心身を清める”ということから、さらに一転して、肉食を避け採食するという意味に変わってしまった。この点からみても、仏教の活力にあふれていた精神が形骸化してしまったことがわかる。」と書かれています。
短い文に鋭い考察がなされ結論がみえている渡辺氏の洞察力が伺えます。

幸福の科学で説かれる法も自助努力の教えであり、自己確立をしながら与える愛の実践(上求菩提・下化衆生)が大切であると説かれています。
自分の内面を確立していく過程で、他の人に対して良い影響を与えていくという教えです。
努力や自己責任をはずした、○○判断やそれに関係する類のものは、本来の仏教的な精神に基づく正しい道ではないと思います。


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posted by ガンちゃん at 19:24 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする